太一たちが光が丘にいた時期
映画で1996年2月29日時点で太一たちが光が丘にいたことに、「ん?」となったので調べてみました。他にも映画で考察をしようかと思ったことはあったのでですが、ほとんどが意味がなくなった中で唯一残った内容になります。
まず、光が丘での会話(29話)によると
・1995年の事件を爆弾テロだと思った大人たちが引越した。
・太一、空、ヤマトは光が丘の小学校、ミミ、光子郎は光が丘の幼稚園にいた時期が
ある。(太一、空、ヤマトは1999年8月に5年生なので、1995年4月に小学校に入学
したことになる)。
・光子郎一家が光が丘にいたのは数か月。
なお、無印の3年前(1996年。おそらく季節は夏)には八神一家がお台場に引越ていた(48話)。
子供たちが所持していた名簿や発言(29話、32話)から、1996年4月以降も光が丘にとどまっていた家族はいないでしょう。
※(太一、)空、ヤマトが用意したのは小学校の名簿、ミミ、光子郎が用意したのは幼稚園の名簿、丈は小2の頃の同級生に電話していた。
光が丘の事件は1995年の3月に起こったと考えています。しかし、そうなるとなぜ太一たちは4月以降の名簿を持ってきたのかと疑問が残ります。節目の時期であることや爆弾テロの影響による引越しを考慮すると、4月以降の名簿では抜けが多くなりそうです。もっとも、太一たち以外で光が丘から引っ越したのはマレのようですが(34話)
では、爆弾テロ事件が4月以降の新年度なのかと言われると違う気がします。そもそも3月にした(4月以降でない)根拠として、
・八神家のカレンダー(ただし日付けと曜日が一致していない)
・平日(太一の父親は働いていた)に一日家にいた
・学校用品が描写されていない
等があります。
また、小説版だと最初にお台場に引越したのは八神一家であるとされてます。
すると、上述の光子郎一家がいた期間と矛盾しそうです。また、ヤマトの両親が離婚したのも4年前(1995年)ですので、離婚とともに引越したという記述と矛盾します。
一応、八神家以外はお台場以外を経由してきたと考えればつじつまは合わせられます(丈の発言からすると城戸一家は直接お台場に引越したようでしたが、本当に数年間シン兄さんが押入れで寝てたのに気づかなかったようです・・・)。
また、1996年4月の新学期からお台場の学校に転校したものすれば、映画の描写とも特段矛盾はなさそうです。ミミと光子郎も1996年4月には小学校に入学だが、幼稚園の名簿しかもってこなかったですし。
以前作成した年表も参考