パートナー関係について

 最初は、デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆(以下「ラスエボ」)の感想をまとめようと思っていたのですが、
パートナー関係の解消問題の項目引っ掛かり先に進めなくなったので、いっそそのに特化した内容の考察にしようと思いました。
 ただ、身も蓋もないことを言うとラスエボでできた後付け設定のため、どうやっても過去作との矛盾等が出てきます。
 なお、映画の感想については、他の人がすでに言っているいい点悪い点とほぼ同じですので、触れません。

 

まず、きっかけとなったメノアのセリフから
デジモンのパートナーに子供たちが選ばれるか理解している?それは可能性にあふれているから。未来に広がる無限の選択肢。それを選ぶことで得られる成長。「成長」と「可能性」の両立は莫大なエネルギーを生み出す。
 パートナーデジモンのエボリューションは、あなたたちの「成長」がトリガーになっていた。私たちは日々生きていく中で、いろいろな可能性を選択し、成長していく。でも、その中で確実にデジモンたちとの間にあるパワーは失われていき、そのパワーがなくなればデジモンとのパートナー関係は解消される。」
 「無理な進化と戦闘は、パートナーとの別れを早める。」

 

1.そもそもパートナー関係の解消はどういった場合に起きるのか。


 デジモンのパートナーに子供たちが選ばれるのは可能性にあふれているからであり、パートナーデジモンの進化は、パートナーの「成長」がトリガーになってる。しかし、生きていく中で、いろいろな可能性を選択し、成長していくことでデジモンたちとの間にあるパワーは失われていき、そのパワーがなくなればパートナー関係は解消される」
 これは、ゲンナイ肯定していたことからもメノアの推察だけというわけではなさそうです。
しかし、作中でパートナー関係が解消になった事例をみても、別れの基準があいまいです。
 メノア→大学に飛び級で入学したとき
 空→戦いに参加しないで自分の道を行くと決めたとき
 太一・ヤマト→戦闘や進化でによって別れが早まった。
(丈・ミミ・光子郎→エンディング時にパートナーデジモンがいない。02組にはパートナーたちが写っている。)

(1)「年齢の問題」でないことは明らかです。
(2)「目標や進路が定まることで可能性の選択肢が狭まる」というなら、丈や大輔は太一やヤマトよりも遥かに別れが早いはずです。
(3)「進化や戦闘の頻度」の面ではどうでしょう。
 太一とヤマトは一番エネルギーを消耗するであろう究極体やオメガモンへの進化をほかの子供たち以上に繰り返していたと思われます。
 メノアは太一達より前の選ばれし子供であり、太一達と同等以上の戦闘が起きてた可能性も十分あります。
 ※ラスエボが2010年の出来事で、8年前の14歳の時にパートナー関係が解消され(2002年)、モルフォモンと出会ったのは9歳の頃(1997年)と発言
 ただ、空が丈・ミミ・光子郎以上に進化を重ねていたとも思えません。また、加入や完全体への進化が遅かったことを踏まえたとしても、02でも前線に立っていたタケルとヒカリもまだ影響はない様子でしたから、これも矛盾点が出ます。
 もっともラスエボ序盤で迷いデジモンの対応をしていたように2002年以降進化・戦闘をする頻度がどういうものだったかは不明ですが。

 

 (2)と(3)を組み合わせ、可能性が狭まった状態で進化をし、パワーの供給が消費を上回ることで、やがてパワーを失うと考えるのが妥当でしょうか。
ただし、戦闘や進化は別れを早めるものであって、戦闘や進化をしなくとも別れ自体は避けられないというにニュアンスではありましたから、パートナー関係の維持自体にパワーを消費しているのでしょう。
仮に、太一とヤマトが戦闘や進化を控えていれば丈よりは別れが遅れていたということになるんでしょうか。

 

 もう一つ、「現実世界にデジモンがいるために必要なパワーの消費」説なんかも考えてみました。
02時点でも現実世界にデジモンが長期間滞在するは辛く、特にパートナーと離れていたり進化段階が上がると消耗が激しくなり、デジタルワールドに帰らなければならないような描写もありました(02-33話、43話)。
もっとも、アグモンたちが無印で現実世界にいた時間は02で現実世界にいた時間はあまり差がなく、進化による消耗も無印時代のほうが大きいんですがそういう描写はなかったですけど(デジタルワールドの異常接近やヴァンデモンの霧の結界の効果があったとかなんでしょうか?)
また、ウォレスも1995年にテリアモンたちに出会ってからから一度もデジタルワールドに行ったことがなかったり、メノアもモルフォモンと長らく現実世界にいることができたようですから、現実世界でのデジモンの消耗具合は今一つ整合性に欠けますね。

 

2.デジモンのパートナーに子供たちが選ばれるのは可能性にあふれているからとあるが、02から25年後の世界では大人を含めた全ての人にパートナーがいる点について。 

 

(1)戦いが減り、パートナー関係維持のパワー消耗が少なくなり、別れる人がいなくなった。
 ありえそうですが、ラスエボでパートナーが消えた者たちの関係が復活していた点については説明できません。

(2)大人になっても無限の可能性を得るようになった
 「だが、君たちにまだ無限の可能性があるのなら・・・あるいは」とゲンナイは示唆していた通り、大人になっても無限の可能性があればパートナー関係が復活するのでしょう。
 また、(1)と併せて、ラスエボ以降に新しくパートナーを得た者については必ずしも別れを経験しなくてもよく、ラスエボでパートナーが消えた者たちは再び無限の可能性を得たことで復活したことで全人類にパートナーデジモンがいる状態を実現できたというものです。
 パートナーを失った者全員が全員、大人になって再び無限の可能性を得ることが可能なのかはそれこそ疑問ですが。

 

(3)一度はパートナーデジモンできるという意味合い。
 これは、(パートナー関係が復活する人もまれにいるが)基本的に全ての人は必ずパートナーデジモンできた後に別れる,パートナーデジモンがいるという状態という経験を誰もが一度はするという考え方。
でも、「今、すべての人にパートナーデジモンがいる」状態とはいいがたいですね。

 

(4)デジタルワールドが進化した。
 デジモンは現実世界に異常気象や電子機器への障害などといった問題を引き起こしていました。また、デジタルワールド側においても使命を果たせば選ばれし子供であっても異物として消去されかねないともありました。(13話、54話)
 しかし、デジタルワールドの時間が現実世界よりも早く進んでいたのは、現実世界の歴史に追いつこうとしたたためで、デジタルワールドの時間が現実世界と同期したのはデジタルワールドが次の段階に進んだ(デジタルワールドの進化)ことを示していたとあります。(小説版)
 そして、02の時代にはある程度2つの世界を行き来できる、ラスエボではデジモンたちが長期間現実世界にいられるなどデジタルワールドと現実世界の関係が改善されてきていることがうかがえます。
 デジタルワールドは人の想いとデジタルな世界が融合した世界であり(02-50話)、デジモンも「付喪神」のように人との関係によって成り立った存在であることが示唆されています。(ドラマCD、02-33話
 つまり、パートナーデジモンが消えるというのは、パートナーデジモンを具現化するにはパワーが必要で、パワーがないと存在してても見ることができない(消えたように感じる)ということなんじゃないでしょうか。人類とデジタルワールドの両方の進歩によって、今はパートナー関係に維持に莫大なパワーは必要でも将来的には必要なくなり、無限の可能性を持った子供たちだけでなく、全人類がデジタルワールドを認識し、パートナーデジモンを得ることができたというわけです。


 個人的に(4)が妥当なんじゃないかと思っています。
ゲンナイのいう「だが、君たちにまだ無限の可能性があるのなら・・・あるいは」の「君たち」というのは太一達に限らず、人類全体のことを指しており、人の想いとデジタルな世界の両方に進化の可能性があれば、パートナーデジモンと別れないですむ世界ができると。
そして、そうした2つの世界の懸け橋となるために太一は外交官になった、全ての人にパートナーデジモンができるまでの道のりは平坦ではなかったなんて考えることもできます。


3.可能性とは


パートナーとの関係問題の根幹にある「無限の可能性」とは何でしょうか。
おそらくそれは02でタケルが言っていたが、夢を実現する力なのでしょう。
※「デジモンは僕たちがいて欲しいと思ったら、いると信じたら必ず存在するんだ。それは、僕たちに心があるのと同じように。子供にはみな、夢をかなえる力があるのと同じように。」(02-50話
しかし、及川もメノアも空も夢はあり、それを実現しようとしてきました。
それなのに、夢をかなえようとすればするほどパートナーデジモンと別れなければならないのでしょうか?そこで3人について詳しく見ていこうと思います。


・及川について
 デジタルワールドに行くという夢はあっても、デジタルワールドや周りがそれを受け入れてくれない思い、選ばれし子供を妬む気持ちもありました。。
しかし、パートナーデジモンを持つというのは本当はそんな特別なことではなく、選ばれし子どもというのはデジタルワールドに起きた不具合を修正するために他の子供よりも早くデジモンとパートナーになるというものでした。(ドラマCD)
そして賢のように、「自分は何も持っていない。そう思っていたほうが楽だった(02-23話)」と考えるようになり、可能性を失ってしまったのだと考えられます。

・メノアについて
 大学に合格し、研究で世界の役に立つという夢があって、それを実現できましたが
その根幹には、皆が自分のこと避けるので、早く大人になり好きな研究に没頭し一人で生きていきたいという、どこか自分を信じれていない面があったのでしょう。
賢「早く大人になろうとしてたが、それは自分自身を否定することにしかならなかった。」(ドラマCD)

・空について
 02の丈の台詞でも選ばれし子供たちなんていわれてるけど、本当は僕たちが選んでるんだよね。何をすべきか、何をしたいか。」
というのがあるのにピヨモンと別れたのかという点について、丈の言ったことには次のような続きがあるからだと思います。
ヤマト「俺たちのやっていることは義務じゃない。したいからやっているんだ。やりたくないならやらなくていいさ。でも俺たちはやりたかったからここまできたんだ。」
丈「今僕たちの目の前に待ち構えてるのは絶望的なことかもしれない。でも、それができる僕たちだからきっとここにいるんだ。」(50話)

また、
ヒカリ「パートナーデジモンができたということは、あなたに何かやらなければならないことができた場合がほとんど」
ミミ「みんな自分たちがデジモンの力で何をすべきかわかっていた。」(ドラマCD)
ともあります。

 

 つまり、選ばれし子供として何をすべきか選択するのと、選ばれし子供としての役割や資質を放棄する選択をするのは、何かを選択するという点では同じでも自分を信じられているかどうかが異なります。
(選ばれし子供自体をやめるというのが正しいか間違いなかは別の話が。)
夢があるだけではだめ、夢を実現する力もあることを、自分を信じる必要があるのでしょう。
 しかし、最終的にパートナーデジモンと再会できたことからも及川やメノアがとっていた行動も一概に間違っていたとも言えないでしょう。
 かつてチンロンモンがBウォーグレイモンに言ったように、そこに至るまでの過程がいかなるものであったとしてもそれは必ず意味があることであり、その意味を見つけるの自分自身であると(02-37話)。
 少なくとも、デジモンのパートナーには子供が選ばれ、大人はパートナーデジモンができない、別れなければならないというのはラスエボ時点でも絶対ではないです。

 

最後に


 長々と書いてきましたが、パートナー関係解消問題についてはモヤモヤする部分や正直納得しきれていない点があります。しかし今回の文を書くにあたってデジモンアドベンチャーの世界の根幹となる部分を考えてみるいいきっかけになったとも思いますし、いろいろな話を見直し、新しい発見や新しい考えも浮かんできて楽しい面もありました。
 ひとまず一区切りということで、まだ考察してみたいネタはありましたが、今後新たな記事を書く予定はないです。
 20年以上経ちましたがデジモンアドベンチャーシリーズが好きなんだと改めて認識することができましたし、今後も気が向いたときに見直して楽しんでいきたいなと思いました。